離婚・男女問題コラム

2017.10.04更新

こんにちは。日本橋人形町の弁護士・濵門俊也(はまかどとしや)です。


仏教学者である植木雅俊先生が,西日本新聞に連載中の「仏教50話」15回(平成29年10月3日付け)に,つぎのような一節がありました。

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「仏陀(ぶっだ)」と書くと,人間離れした特別の存在として受け取られ,「成仏(じょうぶつ)」と言うと,その特別な存在になることか,死後のことだと思われる。

原始仏典にはしばしばブッダの複数形が登場し,釈尊のみを示す固有名詞ではなく,普通名詞である。「法(理法)/〝真の自己〟に目覚めた人」のことだ。

「成仏」という言葉の意味は,「仏に成る」よりも「法/〝真の自己〟に目覚める」のほうが正確である。「仏に成る」では,現在の自己(人間)と別の存在になることになり,現在の自己が否定される。人間存在は否定されるべきでなく,法/〝真の自己〟に目覚めればよい。

釈尊入滅後,教団の権威主義化に伴い「釈尊は天文学的な時間をかけて修行してブッダになった。ブッダになれるのは釈尊のみ」と神格化された。 ところが,最古層の原始仏典には「まのあたり即時に実現され,時を要しない法」という言葉が頻出する。天文学的時間など必要なかった。それは即身成仏,一生成仏を意味する。

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「成仏」とは「法/〝真の自己〟に目覚める」こと,このことを「わかった」だけでは「かわりません」。「わかる」ことよりも「かわる」ことが大事であるといわれます。
そして,「かわる」ことは,「これまでの考え方がかわり行動もかわる」ことになり,その結果「わかった」となるわけです。
「かわりたい」のであれば,まず「かわることを信じて行動する」ということが大切です。その不断の努力が自己の人格を覚醒していくこととなります。

投稿者: 弁護士濵門俊也

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